当院の特徴

  • 当院は患者さまがわざわざ都心の大病院にご紹介されなくても、思い立った時に気軽に検査ができ、納得できる説明と診断を得られるように高性能医療機器の設置と日々の研鑽に努めています。


理事長の来歴

正真正銘の葛飾区高砂生まれです。駅前の母の実家で、高砂の生んだ英才、免疫学の泰斗、矢田純一先生(注1)のご母堂に取り上げて頂きました。中学は金町の常盤中に進み畏友Sと出会いました(注2)。都立墨田川高校では物理学が最高の学問と思い込み早大理工の応用物理へ入学しました。そこで理論物理から生物物理へと方向転換をしましたが、さらに人体から疾病へと関心が高まり医学部への転部を決意しました。経済的に国公立しか選択肢はありませんでしたが、幸い私立でも学費の安い日本医科大学に入学できました。卒業後は未だ発展途上の脳神経外科を専攻しました。大学院を卒業して医学博士号を取得し、脳神経外科学会専門医試験合格後、研究に専念して出世を目指すところですが臨床の現場を選びました。

葛飾区堀切の新葛飾病院の院長職を経て平成3年に江戸川区瑞江に脳神経外科専門の有床診療所を開設しました。生命に関わる脳疾患は迅速な対応が不可欠なため、引き受ける医療施設は少なく、大病院で診療を断られた患者様が多数訪れました。平成11年にシーメンス社製の超伝導MRIとマルチスライスCTを装備した二つ目の有床診療所である新柴又駅前クリニックを鎌倉の実家に開設しました。わざわざ都心の大病院に行かなくても近場での正確な診断を可能にしました。深刻な病状の場合には、人脈を駆使して熟達の名医を探し当て、最善の治療への道筋をご提案して参りました。今後も脳を中心とした画像診断に尽力する所存です。

注1:住吉小、櫻道中、両国高、東大医学部と進んだ地元の伝説的秀才です。小学校だけ私の先輩で医学生時代は東邦大学医学部の助教授の職にあり、著述された小児科学の教科書で勉強しました。その後、東京医科歯科大学の小児科学教授に就任され、著書は免疫学のベストセラーでした。

注2:Sは高校も大学(早大理工)も一緒で出世頭でした。キャノンに入社し経団連会長となる御手洗冨士夫氏に見出され日本郵政の初代副社長に抜擢されて辣腕を振るっていました。残念なことに六十一歳で病没されました。高卒時には私と同様に医学部進学を志望して国立K大学も受験しました。